Jul 06, 2010

この夏の国内旅行に行ったら

私は、夫と1歳の子供がいて、水戸に住んでいます。この夏は、主人が、秋夕頃に休日だったので、家族の国内旅行1泊那須旅行に行きました。適当な近くで放射能などの心配も考え、子どもたちが楽しめる場所を考えると、中から牛ナスが最適だと思ったからです。那須温泉もあり、子供が喜ぶような動物も見ている大人も子供も、今回の国内旅行は楽しむことができた。
私は卒業旅行と聞くと​​、高校生の頃を覚えています。高校3年の冬、それぞれに進路が決まってから仲の良い友達の両方の卒業旅行をしました。当時はこれが最後だなんて実感は全くなく、単に一般的な旅行気分でした。しかし、今と、思い出として鮮明に胸に残っています。その時は本当に楽しかったです。
 マンガ家の藤子・F・不二雄さんの記念館「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」の特別仕様シャトルバスが、同ミュージアム開館を1カ月後に控えた3日、川崎市内で初公開された。外装(ラッピング)だけでなく、車内のシートや停車ボタンのデザインにも、「ドラえもん」や「パーマン」など、藤子さんが生み出した人気キャラクターが使用されており、乗るだけで藤子ワールドが楽しめそうだ。全4種類の車体が、9月3日の開館日から、小田急線およびJR南武線・登戸駅とミュージアムを結ぶ予定。

【写真特集】「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」の特別仕様シャトルバス

 特別仕様のシャトルバスは、藤子・F・不二雄プロがデザインした4台。ナンバーはいずれも「2112」で、ドラえもんの誕生年(2112年)にちなんだ。水色をベースにした中型車両(全長約9メートル)の1号車は、「ドラえもん」がテーマで、「タケコプター」を装着したドラえもんやのび太たちがラッピングに登場し、内装も水色が基調。つり革や停車ボタンも「ドラえもん」仕様になっている。同じく中型の2号車は、「オバケのQ太郎」がテーマとなっており、外装は白がベースで、車両後部に「Q太郎」が大きくデザインされている。小型車両(全長約7メートル)の3号車は「キテレツ大百科」、同じく小型の4号車は「パーマン」がテーマ。各号車の外装には、テーマになっているキャラクターだけでなく、さまざまなキャラクターが描かれている。

 内装も藤子キャラクターが随所に使用されており、1号車は水色、2号車はピンク、3号車は黄色、4号車はブルーのシートで、各車両のシートには、藤子キャラたちの一部をデザイン化。それぞれのバスのつり革や停車ボタンにもキャラクターが使用されており、1号車がドラえもん、2号車がQ太郎、3号車が「コロ助」、4号車がパーマンのデザイン。小田急線およびJR南武線・登戸駅と同ミュージアムを結び、市交通局が運行。料金は大人200円、小児100円などとなっており、火曜は原則運休。

 この日行われたお披露目式には、阿部孝夫・川崎市長や同ミュージアムの館長も務める藤子プロの伊藤善章社長らも出席。阿部市長が「外装にも藤子作品が随所に表されており、大変夢の持てるものになっているのではないか」と喜びを語ると、伊藤社長も「われわれスタッフ一同が知恵を絞って作った。大変楽しいバスになっています。ぜひ、このバスに乗って、いっぱいミュージアムに来てほしいなと思います」とよびかけていた。イベントには、ドラえもんの着ぐるみや同市内の園児らも駆けつけ、にぎやかなお披露目式となった。

 同ミュージアムは、9月3日に川崎市多摩区の向ヶ丘遊園跡地に開館予定。3階建てのミュージアムには、5万点の中から選んだ原画のほか、藤子さんの生前の愛用品をテーマ別に展示。同ミュージアムでのみ上映するアニメ映像なども用意するという。キャラクターとふれ合う屋上広場やキッズスペース、ミュージアムカフェも設置される。 

 藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さんは1951年、藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんと「藤子不二雄」として、「毎日小学生新聞」に「天使の玉ちゃん」を初連載し、マンガ家デビュー。「キテレツ大百科」「エスパー魔美」など子供向けのSFギャグマンガの名作の数々を生み、96年に62歳で死去した。(毎日新聞デジタル)


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 ■ラジオ局の前で師匠にアタック 落語との出合いは弟子入り後。

 −−師匠の笑福亭鶴瓶さんに弟子入りを志願するのが昭和62年ですか

 銀瓶 国立明石高専4年の3月でした。税理士事務所当時、梅田のラジオ大阪へ行きました。「ぬかるみの世界」に出演される前の夜11時に師匠が来られて、「聞いていただきたい話があるんですが」と声をかけたら、「どうしたん?」と簡単に社屋に入れてくれました。で、学生証と外国人登録証を出して、私の名前はシム・ジョンイルと言いまして。弟子にしてほしいんですと。ところが、「いま弟子5人おんねん。もう取らへんねん」と。当時はボク、弟子は笑瓶さんだけやと思っていたんですよ。

 −−うーん

 銀瓶 師匠は「もう遅いし、帰りはタクシーで送ってあげるから見ていき」と、生番組を見せてもらいました。で、タクシーに乗せてもらって、いろんな話をしまして、在日コリアンの話とか。師匠も在日の友達がいて、ようケンカもしたわと。読んでいた司馬遼太郎さんの「故郷忘じがたく候」の話もして。この本も自分がトライするきっかけになりました。師匠もお好きでした。薩摩焼の沈寿官さんも朝鮮民族の末裔(まつえい)ですよね。そういう話もして。

 −−初対面から良かったですね

 銀瓶 師匠は西宮のご自宅で降りられて。ボクは神戸までなので車を降りてお礼を言うたら、師匠がこう言わはるんです。「キミと、もういっぺん会いたいなあ…」

 −−それは救われた感じですね。それまでの進路を含めて不本意な歩みでしたから

 銀瓶 いや、決して不本意やなかったです。それまでの19年間をマイナスにとらえたことはなかった。たしかに教師は断念しましたけど、だからといって、自分の生きてきた過程をマイナスにとらえることはありませんでした。それは今もそうです。

 −−なるほど

 銀瓶 師匠もボクに何かを感じてくれたんでしょうか。その年の7月にお願いに行って、「気持ちは変わっていません」と言うたら、「分かった。卒業したらおいで」と言うてくれて。一門では毎日手紙を出したり、入門するのに非常に苦労した人もいるんですけど、ボクなんかはすんなりと行けました。

 −−昭和63年3月から修業に入るわけですが、そこで落語と出合うことになるわけですね

 銀瓶 落語せえへんのに、師匠の部屋に落語のレコードとか本とかたくさんありました。かかってくる電話も「桂」「笑福亭」…そら、当たり前なんですけど。「時間があったら聞いてええで」と言うてくれたので、覚える気はないけどレコードとか聞いていました。そこで初めて落語に出合った。米朝、松鶴、春団治、小文枝…そうそうたる方々、落語って面白いなあと思ったんですよね。

 −−他の一門やお弟子さんと入り口が全然違ったんですね

 銀瓶 考えたら、師匠も当時は落語をそないにしてないけど、大学の落研出身やし、落語が好きで松鶴師匠の弟子になった。鶴瓶の根底にあるのは「落語」やと。当たり前のことに後から気づくわけですよ。これは素人のうちでは分からないんですよ。ほなら、ボクも落語をまず知ろうと思いました。www.jiko-sos.jp(聞き手 豊田昌継)

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